【海外移住のためのガイドブック】アラ60への応援メッセージ!!!

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【フィリピンのことを知る】日本人は戦争中、フィリピンで何をしてきたのか?

 

【フィリピンのことを知る】日本人は戦争中、フィリピンで何をしてきたのか?

私はフィリピンに移住します。

 

試験がある訳でもなく、向こうから誘われたわけでもない。

 

全くの一方的な移住宣言である。

 

フィリピンの方からしたら迷惑なことかも知れませんが。。。

 

ただ、フィリピンでは外貨獲得のための国策として、リタイアメント制度を導入していることから、移住者の受け入れに積極的なことは間違いないような気がしてます。

 

とは言っても、訪問する国のこと、フィリピンのことを全く知らないで外国を訪問するのは、移住でなくても失礼だと私は思いますが、いかがでしょうか?

 

と言うことで、今回はこれだけは知っておきたいと思うものの中から、まず初めにフィリピンにおける太平洋戦争について取り上げていきたいと思います。

 

 

【天皇陛下によるフィリピン御訪問】

1945年(昭和20年)8月15日、太平洋戦争が終わった日です。

 

今年は2019年なので戦後74年ということになります。

 

終戦の年に生まれた方は現在74歳、戦争に行かれた方となると皆さん既に90歳を超えているのではないかと思います。戦争経験者も年々少なくなり、当時の事を覚えている方も時代の流れに伴いいずれいなくなっていくことになります。

 

そんな中、天皇陛下(現在の上皇、上皇后)がサイパンやパラオを訪れ、太平洋戦争による戦没者を慰霊されてきたことは、ニュース等を通して知っていました。

  

2016年(平成28年)1月26日には、天皇、皇后両陛下がフィリピンを訪問されています。訪問の目的は、フィリピンとの国交正常化60周年にあたり行われる親善行事への出席と、実はこちらがメインだと思いますが、太平洋戦争激戦地での戦没者の慰霊となっていました。

 

フィリピン訪問の御予定を簡単に記載しますと、

 

26日 出国に先立ち、「おことば」を述べる

27日 「無名戦士の墓」を訪問し、フィリピン側戦没者を慰霊、及び、アキノ大統領との晩餐会

28日 フィリピンにて苦労された日系人と懇談

29日 「比島戦没者の碑」訪問し、日本人戦没者を慰霊

30日 帰国  となっていました。

 

 

〇 天皇陛下が訪問に際して述べられたことば

※原文のまま記載させていただきます。

 

この度、フィリピン国大統領閣下からの御招待により、皇后と共に、同国を訪問いたします。

 

私どもは、ガルシア大統領が国賓として日本を御訪問になったことに対する答訪として、昭和37年、昭和天皇の名代として、フィリピンを訪問いたしました。それから54年、日・フィリピン国交正常化60周年に当たり、皇后と共に再び同国を訪れることをうれしく、感慨深く思っております。

 

フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています。

 

旅の終わりには、ルソン島東部のカリラヤの地で、フィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う碑に詣でます。
この度の訪問が、両国の相互理解と友好関係の更なる増進に資するよう深く願っております。

 

終わりに内閣総理大臣始め、この訪問に心を寄せられた多くの人々に深く感謝いたします。

 

 

【天皇両陛下が慰霊された場所】 

〇無名戦士の墓

フィリピンの無名戦士の墓には、先の大戦を中心に様々な戦争で命を落としたフィリピン兵士を中心とする戦没者が祭られている。

 

フィリピン国内での戦闘は、1941年12月8日の太平洋戦争勃発とともに始まり、1945年8月15日の終戦の時まで各地で繰り広げられてきた。

 

主な戦いとしては、日本軍の侵攻、フラバラハップ、レイテ、マニラ、ミンダナオ等多くの戦いの記録が残されていますが、この戦いを通して連合国側で17万人、日本側で50万人の戦士、そしてなによりも約100万人にも及ぶフィリピン一般市民の方々が犠牲となっていました。

 

昭和16年12月、日本軍がアメリカの植民地だったフィリピンに侵攻し、首都マニラを占領した。その後、フィリピン人による坑日ゲリラを掃討する作戦が全土で繰り広げられ、住民を含めたくさんの犠牲者が出たとされている。

 

この抗日ゲリラは、フクバラハップと呼ばれ、占領期間中一貫して日本軍を苦しめた方々でこの無名戦士の墓に祭られています。

 

また、1945年(昭和20年)2月から3月にかけて、日本が占領するマニラでは日米両国による激しい市街戦が行われ、70万人の市民が残留したままの状態で行われた戦いは太平洋戦争では最大規模となる市街戦となり、たった1ヶ月の間で10万人にも及ぶ市民の方々が巻き添えとなり死亡したとのことです。

 

この戦いのことを現在でも、マニラの戦いと呼ばれて言い伝えられております。ここで亡くなられた方々もまた、この無名戦士の墓に祭られています。

 

この無名戦士の墓は、マニラ首都圏南部にある英雄墓地の中にあるそうです。

 

 

〇比島戦没者の碑

比島戦没者の碑は、日本政府により建てられたフィリピンで戦没された約50万人にも及ぶ日本人を追悼する慰霊碑です。マニラから南東に約110km離れたラグナ州カビンティ・カリラヤにある通称「Japanese Memorial Garden」内に設置されています。

 

ここでは、昭和48年の建立以来、日比両国の戦没者を悼むと共に、両国の平和と友好を祈念するため、毎年8月15日の終戦記念日に慰霊祭を実施してきてます。

 

 

【さいごに】

今回紹介した内容は、フィリピンにおける太平洋戦争の資料があまりにも膨大なこともあり、その一端に触れただけになっています。

 

天皇両陛下がなされたように、私自身もフィリピン国内に今も残る戦地を訪れた際には、訪問し手お合わせていきたいと思うようになりました。

その際には、自分で訪れ感じたことを、改めて投稿させていただきます。

 

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今回の記事作成にあたり、以下の資料を参考にさせていただきました。

ja.wikipedia.org

www.asahi.com

 

今回は、ここで終わりになります。ありがとうございました。 

Thank you so much. See you next time. Good luck.

 

www.mabuhayhappily.com

 

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9月に入り秋の気配を感じるようになってまいりました。

と言うことで、秋の夜長を楽しむためのパーツをいくつか用意させていただきました。

 

まず、始めはタブレットタイプの第9世代電子書籍Kindle Oasisです。

 

 

2番目がタブレット用のブックスタンド、長時間の読書には必需品です。

 

 

最後が、秋の夜長にやっぱり楽しみたい一冊、深田恭子写真集 This Is Me です。

 

 

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